時代を漂う平成の民

平成生まれのぬるいオタク。長文を書き残したくなったときの為の避難所?代わりなので、多分あんまり使われないと思います。

ジオウの最終回と劇場版における「対比性」とか色々についての与太話

2018年に放送開始したTV番組「仮面ライダージオウ」は去る2019年8月に最終回を迎え、それに先駆け同年7月に公開された劇場版は様々な意味で話題になりました。
下山健人氏の脚本によって描かれたジオウのTVシリーズ最終回「2019:アポカリプス」(以下「LAST」と表記)劇場版「Over Quartzer」(以下「OQ」と表記)

・ソウゴが王を選ばず再び普通の高校生になる王となり元・普通の高校生になる
・崩壊した世界が新たに創り直される世界は元に戻る
ゲイツ達未来人は歴史が変化した結果、ソウゴと同じ時代を生きた友となる一度消滅後、立場と記憶は変わらぬまま復活する

といった大筋の展開以外にも、その構成において互いに対であることを意識したと思われる要素や描写が多く盛り込まれています。
この記事はそんなジオウの2エピソードにおける対比・対照・類似描写を思いつくまま挙げていき、比較(という名の羅列)をしてみるというほぼ自分用覚え書きです。こじつけ・抜け・想像・空想・妄想・与太・その他諸々が含まれますので、そういったものを醜いと考える方はそっと戻ってください。

(というか、そもそも公式がそこまで(どこまで)考えてたか自体不明なので「そういう前提である」とした上でのタイトル通り全力与太話の類です。)


以降はLASTを基準として大体の時系列に沿いながら書いていきます。

①死亡者と生存者、その順番

ソウゴの仲間であるゲイツツクヨミ・ウォズの中で、LASTではアナザーディケイドの攻撃からソウゴを守ったゲイツが最初に死亡します。その後にツクヨミがアナザーディケイドを倒そうとするもあえなく命を落とし、最後まで生存しソウゴの側にいたのはウォズのみとなりました。
それに対しOQではゲイツツクヨミが最後まで生存し消滅前もソウゴの側にいられた一方で、ウォズはソウゴの元を離れたままバールクスの手で最初に死亡し、そのまま唯一の死者となっています。

簡単にまとめるとこんな感じです。

ゲイツラスボスの手により最初に死亡(LAST)最後まで生存、戦いが終わった後ソウゴの側に(OQ)
ツクヨミソウゴと離れ、ラスボスの手により途中で死亡(LAST)最後まで生存、戦いが終わった後ソウゴの側に(OQ)
・ウォズ:最後まで生存、戦いが終わった後ソウゴの側に(LAST)ソウゴと離れ、ラスボスの手により最初に死亡。唯一の死者に(OQ)

特にOQウォズはLASTのゲイツツクヨミを合わせたような描写になっています。比較してみると、かなり強い対比構造が取られていると言えるのではないでしょうか。

②ジオウ、最後の変身

オーマジオウとオーマフォームの変身周りの、意識すれば分かりやすいだろう対比描写。
LASTでソウゴがオーマジオウになったのは今際の際にゲイツから託された願いと、その死を引き起こした者への怒りによって。
対してOQでオーマフォームとなったのは、オーマジオウ(=未来の常磐ソウゴ自身)との対話で自分自身の夢と意志を自覚したことによって。
最後の変身の切っ掛け自体が他者の働きかけと自己によるもので対比されています。

そして、地獄の底から沸き上がるかの如く大地を踏み締める変身をするオーマジオウに対しオーマフォームは上空で神々しさすらある変身をした後に地上へ飛び降りてくるのも対照的です。
両方地面は割ってますが。

③祝福の言葉

これも恐らく意識すればかなり分かりやすい対比描写。まずウォズの祝い方からし
・困惑→ソウゴから強制された末の祝福となったLAST
・ソウゴと離れながらも自発的な祝福をしたOQ

と対照になっています。
そして、その後に行われた「祝福の儀」では…

「祝え!時空を超え、過去と未来をしろしめす究極の時の王者。その名もオーマジオウ!歴史の最終章へたどり着いた瞬間である!」

(LASTより)

「祝え!大魔王の力を受け継ぎ、全ての時代をしろしめす最終王者!その名も仮面ライダージオウ オーマフォームの誕生である!」

(OQより)*1


決まった一つの縦軸による“過去と未来”、それ以上の「可能性」による横軸をも示唆する“全ての時代”。
歴史において「仮面ライダー」と記されなくなった“オーマジオウ”、そんな魔王の名をも受け継いだ仮面ライダージオウ オーマフォーム”。
先が紡がれる事のない終わりである“最終章”、始まりの象徴とも言える“誕生”。
後述する「ソウゴの出す答え」と合わせ、明確に対比を意識した言葉選びに思えます。


余談ですが、ウォズが行った祝福の儀の中でジオウが新たな力を得た「瞬間」ではなく、新たな力の「誕生そのもの」を祝ったのはオーマフォームが初めてだったりします。

番外・貫く剣と王の否定

こちらは対比としては少し変則的ですが、展開に類似性が見られるので。

LASTとOQでは両方に「ソウゴの仲間とその(元)同属であるラスボスが絡み、片方が背後から剣で刺し貫かれる」シーンが登場します。

それぞれLASTでは
・ソウゴの仲間(ツクヨミ)が
・同属(兄)であるラスボス(スウォルツ)を
・ルミナスフラクターで背後から刺す

OQでは
・ラスボス(常磐SOUGO)が
・同属(クォーツァー)だったソウゴの仲間(ウォズ)を
リボルケインで背後から刺す

…といったもの。シチュエーション自体は似通いながらも、やる側とやられる側が対照的になっています。
また、このときのツクヨミ「あなたのような王はいらない!」、SOUGOは「偽の王を祭り上げる狂言はもう沢山だ!」と、どちらも王を否定する発言を相手に向けているという共通点があります。(その上で発言の対象が直接的か間接的かという違いも)

そしてこれらのシーンの直後、ツクヨミは返り討ちに遭いそのまま倒されますが、ウォズはトドメを刺される寸前ゲイツに庇われ僅かながらも生き長らえます。
LASTではこの時点でまだ生き残っていたウォズが完全に傍観者となっているのだろう点、OQではそのウォズを仲間として受け入れたゲイツが横槍を入れる…という点で対比になっているとも取れそうです。

④ジオウの活躍~最後の必殺技

LASTにもOQにもジオウが単騎で敵を倒しまくるいわゆる無双シーンがありますが、LASTではオーマジオウが終始1人きりで敵を圧倒し続けるのに対してOQはオーマフォームの周囲でゲイツやウォズといった仲間ライダーだけでなく、溢れ出した平成ライダーや一般民衆も一丸となり共に敵へ立ち向かっています。
また、最後にラスボスへ浴びせた必殺技もLASTはオーマジオウ単独で繰り出す逢魔時王必殺撃、OQはオーマフォームが平成ライダーゲイツと協力して繰り出した平成ライダーキック(キングタイムブレーク)でした。

⑤ソウゴの出す答え

分かってしまえば多分一番見えやすい対比描写。ここと後述する⑥の部分はそういった意識を除いても他の箇所と比べ特に類似・対照性が強く感じられるため、シナリオとしても意図して対比的に描かれていると言えそうです。

LASTとOQ両方において、ソウゴは敵対していた相手と最後に問答を行います。
このときのシチュエーションもLASTではこのまま王として君臨すること(世界の維持)を勧めるオーマジオウ、OQでは本当に世界をやり直す気はないか(世界の破壊)という意思確認をするクォーツァーと対比されています。
そしてそれに対するソウゴの答え。LAST放送当時もOQでの類似した台詞との違いに気が付いた人はいたかと思います。

『王として君臨する資格はあるのだぞ?お前が世界を救った』(オーマジオウ)
「違うよ。世界を救ったのは、ゲイツツクヨミや、ライダー達みんなの力だ。みんなのいない世界で、俺一人王様になったって仕方ない…」

(LASTより)

「確かに、過去も未来も美しくはないかも…」
『じゃあ何でやり直そうと思わない?』(クォーツァー)
ゲイツツクヨミやウォズがいたから、今があって、未来がある。その未来を俺は生きたい」

(OQより)


かたや死に逝く友から結末を託され、奪ってきた平成ライダーの力を背負いたった一人で世界を救った王。
かたや多くの仲間や民、受け継いだ力と共に世界を救い、そして結末を一緒に見届けた友から感謝を残された王。
死と共に独り辿り着いてしまった覇道に意味はなく、別れがあっても皆と辿り着けた王道だから意義がある。
だからこそソウゴもLASTでは言えなかった仲間の名前を、OQでしっかりと口に出すことができたのかもしれません。

番外2・ソウゴの立ち位置と時間と身分(2021.4.16追記)

上述したソウゴとオーマジオウ/クォーツァーの問答シーンは、画面を見比べると互いの立ち位置と向きが逆になっています。舞台用語で言うと「上手」と「下手」。
LASTではソウゴが画面に向かって左(下手)側、OQでは向かって右(上手)側に立ち、相手はその反対側にいます。(OQは最初にソウゴが歩いてきた方向を右側として基準にしています。)


Twitter上に分かりやすい解説イラストがあったので引用させていただきます。)
この図で言うと、新たな世界の2018年(過去)に向かおうとするLASTソウゴは「下手から右」へ向き、同じ世界で2019年から先(未来)へ進もうとするOQソウゴは「上手から左」へと向いているのです。

二度と王になれないと言われても、それでもより良い世界と未来の為に「いける気がする」と信じて抗う意思。
どんなに凸凹していても美しくなくても、「本に書いてあるわけじゃないんだから」と瞬間瞬間を必死に生きていくのを肯定する意思。
それぞれの結末は違えど、それは確かにソウゴ自身の選択であり強さなのでしょう。


その他に、別サイトでちょっと面白い記述も見つけたので引用を。

「身分の高い役を向かって右に。逆に身分の低い役は左に。」
というのがお芝居の約束事となり、
上手・下手という言葉が出来たそうです。

http://www.moon-light.ne.jp/termi-nology/meaning/kamite-shimote.htm より)


これを踏まえてLASTとOQの問答シーンを見比べると…

・LAST:上手側に座るのは魔王であるオーマジオウ/下手側に立つのは王の座を下りたソウゴ
・OQ:上手側に立つのは世界と王の座を奪還したソウゴ/下手側に立つのは王を失い世界の決定権を失ったといえるクォーツァー

という、なかなか興味深い構図になるんじゃないか?という発見でした。

⑥ウォズの立場と結末

LASTで世界の破壊と創造が行われ、新たに創り直された歴史において。ウォズは物語の枠組みから外れ、世界と記憶の外側から一人ソウゴ達を見守ることとなりました。そして1年間の放送は現実世界でのウォズの言葉で締め括られ幕を閉じます。
一方OQはというと、ゲイツツクヨミが帰ってきて物語が終わろうとする直前。そこには特別な説明もなくお馴染みの空間でいつものように一人でお話を締め括ろうとする、これまた特に説明なく復活したウォズの姿。そこからやっぱり説明なくその空間に乱入してきたゲイツ達によってウォズもクジゴジ堂へ帰還し、映画は本当に大団円を迎えます。

このように見ると、LASTであった「物語の終わりを一人になったウォズの言葉でまとめる」ということはOQでも行われようとしています。(公開順序は逆ですが。もしかしたらOQのウォズもソウゴ達の結末を「一人で見届けようとした」可能性があります。
しかしOQでは最後にウォズ一人で終わることはなく、彼は物語の登場人物であるゲイツツクヨミの手で再びジオウの世界に連れ戻され一緒にカレーを食べることになりました。
そういえばOQで皆が最後に食べようとしていたのは夕食でしたが、LASTではソウゴの朝食で終わって(始まって)いますね。


恐らく後付けではあるものの、TVシリーズにおいてもウォズはOQと同様にクォーツァー所属であったとされています。*2
つまりLASTにおけるウォズは本質として最後まで仮面ライダージオウという物語の「登場人物」にはなれておらず、クォーツァーではなく平成ライダーの歴史の一部だと意思表明を行い、最終的に物語の登場人物としての結末を迎えたOQとは真逆の立場になっているのです。

登場人物となりきれず、最後には同じ世界にいながらその物語の外側となったLAST。
最後に同じ立場となった登場人物達によって、隔絶された空間から物語の世界へと引き入れられたOQ。
OQ公開前に発売された書籍での発言*3も鑑みるなら、こちらも前述の⑤と合わせ下山氏による意図的な対比である可能性が高いです。



思いつく限りの提示なので抜けやこじつけ、単なる妄想も多々あるでしょうが、比較するとこの2エピソードには思いのほか対となり得る描写が隠されているように思えます。これらはあくまで非公式の与太考察ではありますが、こうした対比的描写を意識しつつLASTとOQを観直してみるとまた違った味わいが感じられるかもしれません。



おまけ

LASTにおいて、ウォズは「ここから先は、この本とは違う歴史が記される必要があるようですという言葉と共にジオウの物語の幕を下ろしました。
そして、OQでの彼が最後に語ろうとしていた「元・普通の高校生常磐ソウゴは、新たな未来のページを書き記すこととなったという言葉。
もしかしてアンサーのようなものだったんだろうか、とふんわり考えてみたり。

*1:ちなみに、超全集やメモリアルミライドウォッチでは「『時空を超えて』大魔王の力を受け継ぎ~」となっています。脚本時点では存在したものの本編でカットされた部分なのでしょうか。

*2:仮面ライダージオウ公式完全読本」P.6・白倉伸一郎インタビューより。“そして、テレビ本編で毎週、カメラ目線のウォズが「この本によれば~」と語っていた相手もまたクォーツァー……ということにしたわけです(笑)。”

*3:仮面ライダー公式アーカイブ FIGHTING TIME ジオウ×ゲイツ」P.77・下山健人インタビューより。“ウォズの映画での立ち回りに関しても、テレビで大きく触れることはないと思いますが、そこは無視するのでなく、きちんと整合性をとろうと思っています。”